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お寺のあり方を税理士と談義 [住職日梵より]

税理士さんのところで種々談義してきました。厳しい税務署だと寺院境内の中で、庫裡(客殿と住職住居)は住職個人の空間だから社宅同様現物給与、課税対象になると迫ってくる場合もあるようです。見解の相違でしょうが仏教会では当然正当な事由で反論しています。

もっとも拙寺では師僧にならってプライベート空間は寝室のみで、作務で汗をかけば檀信徒でも風呂を使用します。庫裡は一応節操を保った構造になっていますが、気心知れればリビングも出入り自由ですし、昼夜問わず来客もありますので全く問題ないと発言しておきました。

しかし、実際このような環境を構築するのは寺族の理解も含め、よほど思い切らなければ難しく、拙僧は師僧の二番煎じでしたが、始めからそのような環境に身を投じることができましたので感謝しております。家内がどう思っているかは知りませんが理解はしていると思います・・・

お寺には色々な形態がありますので、良し悪しではなくその一例です。

まあ、税務署員も思考の多様性が欠如しているので通り一遍のことしか言えないのですが。にちぼん

画像はリビングで寛ぐ菩薩団の愉快な仲間たち
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故郷を想う [住職日梵より]

故郷。ふるさと、こきょう。拙僧の生まれは神田、育ちは板橋。初就職浅草でした。話し口調は未だにべらんめい。最近は「ひ」の発音もしにくくなってきました。よって生まれ故郷の東京をこよなく愛しています。故郷を愛おしみ懐かしむ想いは誰でも同じだと思います。
その後、親戚もいない関西に居を移すとは思いもしませんでしたが、京田辺に縁があって早20年。大津に縁があって早17年。京田辺に生活して早13年、かけがえのない友や先輩後輩など種々のご縁に支えられて今日までおります。いまや拙僧の中では東京も関西も人生の一部であり甲乙つけられません。これだけでも有難いと感じています。
先日の鹿児島万世特攻慰霊祭参列以来、あらためて当時の軍国歌謡を聞いていますが「ラバウル小唄」を聞くと胸が熱くなります。「故郷から遠く離れた南方ラバウルで、戦時中の不安と共存しながら豊かな自然と現地の人たちの愛情に支えられて、もはやラバウルは第二の故郷。ほんの数年縁があっただけのこの地を離れるというのに、自分の心は懐かしさで離れるのが辛い。眼下に浮かぶ島や、夜空に輝く南十字星をのぞみ、しばしの別れだと思いつつも自然と涙が溢れる」歌詞にはこんな意味が含まれていると思います。若い隊員さんなら淡い恋心もあったかもしれません。優しい歌詞とメロディですが、死と隣り合わせにいる覚悟ゆえの心のこもった歌です。日梵
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夢って不思議 [住職日梵より]

拙僧が兼務する大津本要寺に入山して11年目。門前の床屋(寺の借家)のオヤジとは気がつけば公私ともに親しくなり、他の大津京田辺の菩薩団員も巻き込んで楽しいコミニュティになりました。このオヤジ、年上捕まえて失礼かもしれませんが、実に愛すべきキャラで突っ込みどころ満載の懐っこい性格。宗教とは無縁で手を合わせることのない人生だったようでしたが、最終的には本要寺檀家になり、精一杯活動してくださいました。(近所では偏屈で通っていたらしいのですが)
拙僧とは親子のような、友人のような、毎晩飲み明かし、霊跡旅行も短期間で沢山沢山行きました。声を張り上げて大喧嘩もしたっけ。ご近所が「お上人はんと店の前で喧嘩してはる。でも仲がええんやな」回りはこんなことも言ってくれました。そんなオヤジも悪い病には勝てず、「四ケ年が寿命をのびたり」のご聖言の如く、奇跡的に波を乗りきったものの安祥として旅立ちました。あれから2年。オヤジの店も空き家のまま。そんな中で昨晩夢を見たのです。オヤジが懸命に店を修繕しています。掃除やクロス張りや電飾などです。拙僧が「有り難いけど後はプロがやるから大丈夫だよ」と伝えると「次の人が入んのに綺麗にしとかなあかんやろ。せめてこれだけや」と言うのです。目が覚めて、オヤジ初めて夢に出てきたなあと感慨深く余韻に浸っていました。すると一本の電話が。総代さんからでした。「お上人か?床屋の空き家、借りたい言うてる人がおんねん。話進めてえーか」オヤジあの世でも菩薩行やってるね。嬉しかった。嗚呼 普明院日豊居士!
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誰が悪いのかな? [住職日梵より]

他者を慮り配慮する心はとても大切です。しかし一昔前は責任を自己に向けることが多かったのが、近年他者に向けることが多くなったように感じます。「植木が子供の目に入ったから責任とれ」とか「幟の竿が目に入ったから責任とれ」とか、一瞬詐欺?と思わせるようなトラブルもあるようです。それって明らかな不注意の場合もあります。
拙僧が子供の頃は余った給食を先生がおにぎりにして持たせてくれました。帰ったら個々の判断で早めに食べるのです。万が一あたっても食べた側の責任。嫌なら貰わないか食べなければいいんです。あたったなんて話は一度も聞きませんでしたが、親が騒がなかっただけかもしれません。イマドキは何かあればすぐ学校側の危機管理不足となります。自ずと教員は必要最小限の事しかしなくなります。日梵
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子供のしつけあれこれ [住職日梵より]

これを描いてくれたお寺大好き小学一年生の女の子赤ちゃんの頃からお寺に来ています。子供なので言うことを聞かないでゴネることもあります。「パパは大好きだけど悪いことをして叱られたらとても怖い。でも大好き!」この子のお父さんは悪いことをすればキッチリ叱ります。そしてお父さんに彼女の言葉を伝えると「保育園ではちょっと怪我しただけで先生から丁寧に謝罪される」と言います。子供なんだから擦りむことくらい自然だと思いますが、苦情や苦言を訴える親があまりにも多いので慎重なのだとか。「子供が悪い事をしたら叱ってもらって逆に有難いと思うけれど、そのように感じない親もいる」と続けます。
そういえば知人関係者も最近は生徒に「立ちなさい」ではなくて「立ちましょう」と指示する現状に疑問を呈していました。
拙僧も声が大きく標準語なので言葉がとてもキツく聞こえるようで、言い方には配慮しますが、よその子でも悪い事をすれば叱ります。中には気を悪くされる親御さんもいらっしゃるかもしれません。
先日も彼女がお寺でチョットしたイタズラをしました。その日はパパがいなかったのでママと家内がその子を諭すのですが、恥ずかしがって謝ろうとしません。そこで拙僧の登場。様子を伺ってみると硬直した彼女はワーっと泣き出してしまいました。ちゃんと悪いことをしたと分かっているんですね。意地を張っていただけ。彼女のお母さんが家内に「小さい頃はおっかない親戚のおじさんなんかは会いたくないな〜とか苦手だなぁとか思ったけど、うちの娘はすぐにお上人に懐くから家族みたいに思ってるんだと思う」と伝えてくれました。子供のない拙僧にとってこんな嬉しい言葉はありません。
でも彼女が拙僧を嫌いにならないでいてくれるのは親御さんのお陰です。今時の親御さんは子供の前で「あんな叱り方をしなくてもいいのに」と言ってみたり、学校や教員の教育方針にまず委ねることなく、自己主張をしてたちまち批判するから、それを聞いた子供はどうなるか。言わずもがなですね。昔は学校で先生に叱られたり、どつかれた事なんか親に言えませんでした。親に言ったら「お前何やった」ともう一発バシッでした。仮に教員の不手際があったとしても大人同士で解決し、子供に悟られないようにしていたと思います。日梵
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